病院でこはくの死亡が診断されたあと、先生に「こはくを連れて帰るから、少しでいいから綺麗にしてあげてもらえますか」と伝えた。こはくは排泄物にまみれてしまっていた。先生は「大丈夫です、少し処置するので待合室でお待ちください」と答えてくれた。たぶん、もう少し丁寧で優しい表現だったと思う。
歩いて待合室に向かいながら改めて、こはくが死んだ事実、こはくが死んだ世界が受け入れられなくて、待合室に着いたと同時に泣き喚いて取り乱した。「こんなのおかしい」「間違ってる」「ありえない」「うちの家族がこんな目に遭うはずない」「一緒にいてあげられなかった」そんなようなことを繰り返し叫んだ。
母も予想だにしないこはくの死に直面して悲しみに打たれているのに、目の前でおよそ壊れたに近い状態の息子のおれを見て「しっかりしなさい」「あなたがしっかりしないでどうするの」「あなたにはまだ家族がいるでしょう」と泣きながら檄を飛ばしてくれた。
妻は、発作と闘うこはくをよく頑張ったと褒めてあげることにシフトし、おれのネガティブとちょうど相殺するように声を掛けてくれた。ただ、おれが「一緒にいてあげられなかった、もっと大事にしてあげたかった」と言ったことには「大事にしなかったわけじゃないでしょ!」と怒った。それはたしかにと思い、「こはくをひとりにしたことの後悔」に言い換えて、また泣いた。
泣き喚いたおかげで体力を使い、少し冷静に戻った。冷静に戻ったが正気というにはやや難しい。おれからしたらどの状態が正気なのかわからない。最愛の家族を失った悲しみに狂う方がよっぽど正気じゃないか?これを書くに至った今でも、それはわからない。
先生に呼ばれ、綺麗にしてもらったこはくと対面した。いつもの寝てる姿と相違ない。鼻の両穴に綿が詰められているのを見て「苦しそうでかわいそう、はずしてよ」と思った。
こはく、疲れちゃったんだね。発作がずっと続いて辛かったよね。もっと生きたかったよね。一緒にいてあげられなくて、ごめんね。
先生からは、重積発作が抑えられなかったこと、それでMRIなどの詳しい検査に至れなかったこと、強い発作をムリヤリ抑えると脳へのダメージが重大になること、これしか道はなかったようなことを説明をされた。「よくもこはくをこんな目に遭わせたな」という気持ちと「こはくのために色々してくれてありがとう」という気持ちが同時に沸いて、心がぐちゃぐちゃのまま、妻にこはくを抱いてもらってお家に帰った。
病院の下の自販機で水を2本買って少し飲んで、バグった頭のまま車に乗った。ゆっくりと安全運転で、違反をしないことだけを意識して帰った。こういうときは運転をすべきではない。
家に着いて、こはくを愛でた。もう起きることはないけど、起きなくても可愛くて、まるで寝てるだけで、生きていたときと何も変わらなくて、ただ起きられなくなっただけのこはくを愛でた。
こはくは、生物学的には生命維持活動を終えて、いわゆる死んだことになった。が、死んだだけでここにいる。今目の前にいるじゃないか。何なら奇跡でも起きて、急にしっぽを振り出してこはくが起き上がっても、不思議ではない。こはくは病に疲れて起きられなくなってしまっただけで、ここにいる。生き死にではなくて、ここにいる。
妻に抱いてもらい、母に抱いてもらい、あおにもお兄ちゃんであるこはくへ挨拶させた。生前、鼻を触ろうとすると怒ってマズルをムキムキさせていたこはくの鼻を、母はこれ見よがしに「鼻触り放題♪」と言いながら、起きないとイタズラしちゃうぞスタンスでこはくを抱いてくれた。
妻は相変わらずこはくの頑張りを労い、褒めた。もう苦しまなくていいことに優しく安堵して、こはくを抱いてくれた。
あおの反応には驚いた。お兄ちゃんの様子の違いに、あおは聞いたことのない鳴き声と振る舞いを見せた。ちょっかいを出しては距離を取り、いつもより小さく、いつもと違う角の取れた声でお兄ちゃんに鳴いていた。
こはくたちと帰宅して、たぶん1時間ほど経った。こはくの訃報を事前に知らせられなかった姉が、仕事終わりにタクシーで駆け付けてくれた。対面するその瞬間まで、姉にこはくが亡くなったと明確に言葉で伝えられず、姉とこはくの対面を残酷なものにしてしまい、大の犬好きの姉を深く悲しませることになって、申し訳なかった。うちの子らを姉は特に可愛がってくれていた。幸いというか、勝手に救いと思っているのは、こはくの発作が起きる前日に、姉がこはくとあおを触りに家へ来てくれてたこと。元気なときのこはくの姿を、姉と一緒に画像と動画を残せたことは、どん底の気分の中で唯一の救いのひとつに感じていた。というか、それくらいでも救いに感じたかった。
おれはどうにかしてこはくが起きないか考えていた。いや起きないかもしれないが、起きないだけでここにいるのだから、起きられないだけでこはくはここに生きている。いや生きてはいないが、何というか、とにかくこはくはここにいる。
目の前で生きていたときと大差ない状態で、ただ寝ているような姿で、ここにいるのだから、死んだぐらいで死んだことにするのはおかしい。
こはくをずっとこのままにしておきたかった。生命維持活動を終えてしまったこはくは代謝しない。放っておけば腐ってしまう。こはくの見送り方を決めなきゃいけない。とりあえずクーラーボックスと保冷剤で安置することにした。仕事に出ている父にも、綺麗なこはくの姿で挨拶させてあげたかった。ありがちな話だけど、買ってから数回しか使ってないバカでかいクーラーボックスと大量の高性能保冷剤は、このときのためにとっておいた気がした。
疲れ切ったこはくをひとしきり労ったあと、おれは妻に「どうやってお見送りしたい?」と聞いた。妻はおれに「天に昇らせてあげることが飼い主の最後の務めだと思ってる」と答えてくれた。
話を割って、少し妻とおれの過去に触れておく。
妻は実家で犬(レオ)を飼っていた。妻が大学生のとき、レオは10年生きた末に病に伏せた。妻が講義で大学へ出ているときにレオは息を引き取り、妻が家に着くころにはすでに火葬され、レオは骨壺に収まっていたそうだ。妻がレオの死に対して抱いた思いは簡単に書けないが、このあとの話につなげるために一旦「後悔」に集約しておく。
おれも実家で犬(銀太)を飼っていた。実は最近まで生きていた。17年という驚異的な長寿で2021年の10月に亡くなった。おれは結婚を機にぎんちゃんを置いて実家を出てしまったが、リフォームを機にまた実家に戻ったので、辛うじて晩年のぎんちゃんを愛でることができ、弱っていく姿を見ながら、覚悟を積み重ねてお見送りできた。有り難いことに妻も一緒にぎんちゃんを見送ってくれて、そして一緒に悲しんでくれた。
妻もおれも、お互い飼い犬を見送った経験があった。その中でひとつ、考えが大きく違っていた。まあ、家族含めおれの考えだけが違っていた。
おれは「キングスマン」という映画を見て「これはいい」と納得したシーンがあった。主人公の師匠にあたるハリーは、命が尽きるまで生きた飼い犬をはく製にして、自宅に飾っていた。このときは「もしぎんちゃんが死んだら」なんて考えることはなく「こういう別れ方もあるのか」と純粋に思った。昔から「死んだ挙句なぜ火にかけるんだ、かわいそうに」と思っていたので余計に「合理的だな」と都合のいい合理性に当てはめて納得していた。
話を戻すのが先になりそうなので、もったいぶらずに言う。こはくははく製になって帰ってくる予定だ。
ぎんちゃんが亡くなったとき、映画のはく製を思い出さずにはいられなかった。もちろん家族は反対した。荼毘に付すのが正しい送り出し方だと。うちは仏教圏だし、それを差し置いても日本ではご遺体は火葬するのが一般的だ。しかし一般的なだけで、正しいかどうかは別問題で、これは宗教観や死生観の問題だ。「死者の弔いなんて残された人のエゴの塊」と決めつけているおれは、おれが思う都合のいい合理的な供養しか、正しいと思えなかった。思えなかったが、これも先に言うとぎんちゃんは火葬した。そしておれは後悔している。焼いて骨だけになってしまったら、触ることもできない。思い出すには画像や動画、薄れゆく記憶に頼るしかない。姿に勝るものはない。
とはいえ、本人(今回は犬)の意思を無視して亡骸を意のままにする行為は、非難されて然るべきだ。人に置き換えたら、深刻さを理解できる。・・・人に置き換えないと、深刻さを理解できないといった方が正しい。現に妻には「私はちゃんと焼いてね」と10回ぐらい真面目に釘を刺された。おれが先に死ぬ予定なので、いらぬ心配だ。話を戻して、犬に遺志があるかはさておき、死後も尚飼い主のエゴに付き合わされるのは不憫と言われても反論できない。しかし、故犬(人も)の気持ちを代弁するのは最も愚かで罪深いともおれは思っている。つまるところ、死者の弔いは残された人のエゴに他ならない。そうやっておれは「遺体をはく製にすることの正当化」を完了させた。
ぎんちゃんが亡くなり、はく製にしないかと家族に持ち掛けたとき、母は賛成してくれたが反対もしていた。死んだ姿を見続けるのは辛いと。それはそうだ。しかし後になって、やっぱり姿を残しておきたかったとたまに言う。それもそうだ。父は反対しつつも耳を傾けてくれた。ペットのはく製を取り扱っている業者を探してくれたり、はく製にするためにぎんちゃんを冷凍しようとしてくれたり、おれが決断するまで選択の余地を残してくれた。ぎんちゃんの姿を見られなくなることを想像すると辛かった。たとえ亡くなって起きられなくても、姿を見れば心丈夫に違いないと思った。心丈夫という言葉を知ってからはじめてしっくりくる使いどころだったくらい、とても安心する選択だと思った。
もう少しぎんちゃんの話をしたい。ぎんちゃんはおれが高校生のときの冬、おれが選んでお迎えした。ある日父が犬を見に行こうと言い出し、おれと父のふたりでホームセンターへ行った。たしか、ぎんちゃんを選ぶのにあまり時間を掛けなかった気がする。値札にはクリスマスセールと書かれた顔が真っ黒の2匹のパピヨンを比べて、最終的に選んだのがぎんちゃんだった。たしかその場に母もいた気がするが、それは後日お迎えしに行ったときだったと思う。なぜあのとき父が犬を飼おうとしたのかは知らない。今となってはどうでもいい話だが、当時の家族はバラバラだった。同じ家に住んでいるから辛うじて家族だっただけで、今とは比べ物にならないくらい関係はよくなかった。当時を思い出そうとしても、思い出せないくらいひどかったらしい。それを繋ぎとめてくれたのが、ぎんちゃんだった。ぎんちゃんを選んだのはおれだし、父は常々ぎんちゃんはおれの犬と言っているが、ぎんちゃんは父と母の子であり、おれと姉の兄弟であり、紛れもなく家族だった。ぎんちゃんが家族だったおかげで、おれ家は家族でいられたと思う。おれはぎんちゃんが亡くなった日、もう動かないぎんちゃんを抱きながら、とんでもない家にお迎えして、犬らしい犬生を送らせてあげられなかったことをひたすら謝り、うちにきてくれたことをひたすら感謝した。
ぎんちゃんの見送り方を考えるとき、「おれの犬」ではなく「家族の一員」という意識が強かったので、父や母の意見を無下にできなかった。父はその逆で、おれの意見を尊重してくれたんだと思う。おれは考えた。ぎんちゃんをはく製にして残したとき、姿形を見て辛かったとき、どうしたらいいのか。辛くなったからと言って焼けるのか。体を割いて皮にして固めといて、焼けるのか。そもそも体を割いて皮にしたらかわいそうではないか。考えた末に、火葬にして見送ることが、死という別れに踏ん切りをつける儀式が重要なのだと、自分を説き伏せた。おれは「火葬しよう」と父に伝えた。理由も伝えて父も母も賛成してくれた。姉は見送り方の議論の参加を自重していたらしかったが、おれが決めたことならと賛成してくれたようだった。そうやって、ぎんちゃんを火葬することにやや抵抗を覚えながら、みんなでぎんちゃんと見送ることができた。
こはくの話に戻る。妻の気持ちを聞いたおれは、こはくをはく製にしたいことを伝えた。おれはぎんちゃんを火葬したことを後悔していた。
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