5月2日(火) 20時過ぎ
こはくに加えてあおをお迎えして早5ヵ月、犬が2匹ともなるとペット臭問題が深刻だったので、空気清浄機を新たに1台購入していた。
その空気清浄機を妻とふたりで開封している最中に、こはくの異変が突如始まった。
先に気付いたのは妻だった。おれの後ろでソファからズリ落ちるこはくを目の端で捉えて、笑った。
そのときは異変があったとは一切思わず、ウトウトしていたところにフラついただけに見えたので、ちょっとしたドジっ子シーンを目撃したくらいにしか感じなかった。
こはくもビックリしたのか、おれと妻の顔を交互に見ながらしっぽを振って愛想を振りまいて「なんでもないよ」「大丈夫」と言っているように見えて、それもまた可愛くて、愛らしくて、ふたりで笑って撫でた。
このたった数分間の出来事の後、リビングを歩くこはくが足をかばっていることに気付いた。そんな深刻な落ち方をしたようには見えなかったが、「異変が起きて落ちた」ではなく「落ちて異変が起きた」と思い込んでいたので、「衝撃で脱臼したのかも」と決めつけて夜間病院に連絡をした。
病院まで15分の距離、移動中に後部座席でこはくを抱いた妻が「なんか変・・・」と呟いた。運転中で様子がわからないおれは不安を煽る言い方にイラっとしてしまい「(こわいから)具体的に言って」と言葉足らずに聞いた。
「なんかひゃっくりみたいに、ヒクッ、ヒクッってしてる」
これを聞いて「具体的に言ってもらったところでおれには何もわからないのに冷たい言い方はよくなかったな」と口に出さずに反省をした。
このときがてんかん発作の始まりだったようだ。
病院の前に着いて、妻にはこはくを抱えて先に院内へ入ってもらい、おれは車を停めに裏の駐車場へ回った。遅れて院内に入ると、待ち合い室でこはくがしっぽを振ってご機嫌そうに歩いていた。
状況を先生に伝え、そのまま診察と血液検査、発作も出ていたので抗痙攣薬を投与してもらった。検査の結果を待つ間、待ち合い室を我が物顔で歩き、おれと妻の間をやはりしっぽを振りながら行ったり来たりして、大丈夫そうな姿を見ておれは心底安心していた。
血液検査では数値におかしな点はなく、薬も効いているようなので少し様子を見てほしいと先生に言われ、抗痙攣薬の座薬を2回分もらって自宅へ帰った。
23時ごろに自宅に着き、様子を見るかと落ち着いていたが、すでにこはくの様子がおかしかった。
病院での歩き方と違って元気がなく、トボトボと歩き、フラついて壁や家具にぶつかった。しかし発作が出ているわけではなかったので「おれも頭痛いとき視野狭窄とかおきるし、こはくも偏頭痛か?」などと思ってマッサージをしてあげていた。
帰ってすぐお風呂に入っていた妻が出るころには、こはくの様子はみるみる悪化した。その場でグルグル歩き回り、狭いところに隠れる様子がうかがえた。
このときでも発作が出ているわけではなかったので、記録用の動画を回しつつ、ペッツオーライ(24時間獣医師に相談できるサービス)へ今回の件を相談していた。
そうこうしているうちに、ついに痙攣発作が始まった。止まらないひゃっくりみたいな状態が5分ほど続き、先生の言いつけを守って1回目の座薬を投与。少し落ち着いたが10分経っても収まらずむしろ悪化するので病院へ連絡、指示に従って2回目の座薬を投与。
10分経っても発作が落ち着かず、急いで病院へ戻りそのまま緊急入院となった。このとき、先生から血液検査で検査項目が漏れていたことを知らされ、そして漏れていた項目が異常値を指していた。
先生方には心から感謝をしているが、同時に凄まじい憎悪を抱いている。検査のいい加減さや入院中のケアに最善を尽くしたのかの疑念を向けずにはいられない。
この先からはずっと地獄であっという間だった。
5月3日(水)12時過ぎ
妻とふたりでこはくのお見舞いに病院へ行った。病室へ案内されると、点滴につながれたこはくはぐったりして、しかも発作が止まっていなかった。ずっと痙攣を繰り返していた。こはくは妻とおれに気付いて鳴きながら起き上がり、フラフラでまともに立ってられない状態で、ケージに顔を押し付ける形で必死に近付こうとしていた。ちょうど先生が抗痙攣薬を投与してくれたので、こはくは少しだけ落ち着いてくれた。先生からは飛び出しちゃうといけないので、このままでと言われたが、数分も我慢できず「抱っこさせてください」と申し出て、先生も許してくれた。ケージから出すと鳴きながら、発作も繰り返しながらこはくは抱かせてくれた。「帰りたい、寂しい、こわい」と言っているように聞こえた。
こはくはお家でも頭をマッサージすると気持ちよさそうにして、不思議と発作も落ち着いたので、病室で抱いてる間も頭をマッサージしてあげた。発作が落ち着いたのは薬のせいなのか、マッサージのせいなのかはわからない。
妻は病室で取り乱すおれをカメラでおさめてくれた。3人でも撮った。このときの様子を撮っておいてくれたことを妻にとても感謝している。
30分くらい妻と交代でこはくを抱っこし、勇気づけて、「また明日同じ時間に来るからね」とこはくに約束して病院をあとにした。帰りにあおのふるさとのペットショップに寄って、いつでも退院していいようにとご馳走おやつを買い、何日かかっても何時でも呼び出されていいようにレトルトを大量に買い込み、入院費もいくらかかってもいいと覚悟を決めた。
20時過ぎ
家に着いてすぐ、妻とおれは順番にお風呂を済ませ、痙攣発作について調べたりペッツオーライの先生とやりとりをしながら、心を落ち着かせようと努力した。やけにおれはソワソワしていた。こはくに会いたくなっていた。病院からの案内を見て、時間外の面会が迷惑ではないか、プロとしてこはくを診てくれているのに「不安だから」というだけで飼い主が病院に迷惑をかけていいのか、と自問自答を繰り返し、「携帯メールで入院中の様子を送ります。」というお知らせにすがってメールを打った。いつでも呼び出されていいようにiPhoneの通知が鳴るように設定したり、とにかくできることをやり尽くして、気分転換に呑気に映画を見ようとした。今思えば、このときこはくに会いに行っておくべきだった。
21時39分
病院から電話が来た「こはくくんが酸素を取り込めないようで、容態の急変ではないんですが、今から来ていただくことはできますか?」。1階にいるおれの母にも声を掛け、すぐ出た。
21時51分
病院から電話が来た「こはくくんが心肺停止状態です、あとどれくらいですか」10分です、焦る気持ちを抑えられたかわからない。安全運転を心掛けることに集中した。違反をしないことだけを意識した。妻に「大丈夫、絶対大丈夫」と声を掛け、詳しく入院の状況を伝えられてなかった母は「え、どういうこと、なんで」と混乱をさせてしまった。ごめん。
22時01分
病院に着いた。心臓マッサージをされ続けるこはく。目を開いて、舌が出ている、力がない。先生と助手は懸命に心臓マッサージと治療を30分以上繰り返してくれたが、こはくはそのまま戻らなかった。
22時30分
おれの家族がこんな目に遭うなんておかしい。間違ってる。ずっと一緒にいられるはずだった。絶対に間違ってる。この世界はおかしい。こんなの絶対におかしい。
先生方が綺麗に帰れるようにこはくを優しく労わってくれた。
先生、どうしてこはくは死んでしまったの?どうして発作を止めてあげられなかったの?酸素が取り込めないって、心肺停止になるような状態まで、どうして放っておいたの?どうして?
先生方に怒りの感情をぶつけてやりたい。どんな思いか、思い知らせてやりたい。こはくを助けてくれなかったことを、苦しそうなこはくを助けてくれなかったことを、問い詰めて、お前たちのせいで死んだことにして、ぶつけどころを見つけて、楽になりたい。そんなことをしてももうこはくは帰ってこないけど、そうしたい。
先生は「お力になれず申し訳ございません」と声を震わせながら頭を下げた。
憎しみを吐いて捨てたい気持ちを抑えて「きっと今までも辛い場面があったと思います。それなのにここまでしてもらえてよかったです。ありがとうございます。」と返したが、何一つよかったことも、どこまでしてもらえたのかもわからないのに、何を言っているのか思い出してもよくわからない。
もし仮に先生方に落ち度があったとしたら、先生方は自らそれを背負うのだから、責めなくていい。逆に落ち度がなかったなら、最善だったなら、それでいい。これも何を言っているのか、何を思っていたか、思い出してもよくわからない。
よくわからないうちに、こはくは死んでしまった。
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